1912年 岐阜県で生まれる
1930年 上京し、同郷の前田青邨に師事する
1931年 東京美術学校日本画科に入学する
1936年 東京美術学校を卒業する
1941年 再興日本美術院第28回展で初入選となる。
1943年 第30回院展で入選、この年から雅号を「多々志」とする
1954年 総理府留学生としてイタリアに2年間留学する
1967年 法隆寺金堂壁画再現模写開始する
1972年 文化庁より高松塚古墳壁画模写を委嘱され、東壁の女性群像を担当する
1974年 日本美術院同人に推挙される
1976年 飛鳥保存財団より委嘱され、高松塚壁画館に展示するための壁画模写(20面)に総監督として従事する
1977年 文部大臣賞を受賞する
1984年 ローマ教皇庁より聖シルベストロ教皇騎士団勲章を受章する
1985年 内閣総理大臣賞を受賞する
2001年 文化勲章を受章する
2003年 91歳で逝去
1912年 岐阜県で生まれる
1930年 上京し、同郷の前田青邨に師事する
1931年 東京美術学校日本画科に入学する
1936年 東京美術学校を卒業する
1941年 再興日本美術院第28回展で初入選となる。
1943年 第30回院展で入選、この年から雅号を「多々志」とする
1954年 総理府留学生としてイタリアに2年間留学する
1967年 法隆寺金堂壁画再現模写開始する
1972年 文化庁より高松塚古墳壁画模写を委嘱され、東壁の女性群像を担当する
1974年 日本美術院同人に推挙される
1976年 飛鳥保存財団より委嘱され、高松塚壁画館に展示するための
00000年壁画模写(20面)に総監督として従事する
1977年 文部大臣賞を受賞する
1984年 ローマ教皇庁より聖シルベストロ教皇騎士団勲章を受章する
1985年 内閣総理大臣賞を受賞する
2001年 文化勲章を受章する
2003年 91歳で逝去