佐賀県出身の昭和~平成時代に活躍した日本の陶芸家です。
染付や色絵の焼物として知られる有田の地で、一貫して広口の磁器の張りのある豊かなフォルムを追求し続け、漆黒の天目釉に鉄砂、銀砂、青、翠などで条線文様を施したモダンなデザインで、花器を中心に新境地を展開した有田焼の代表的作家として知られています。
中でも漆黒の天目を得意としており、息子の青木清高も青磁を得意とする陶芸家として活躍している事から「黒と青の対比」などと呼ばれています。
数多くの受賞をはじめ、日本芸術院会員、日展常務理事、日本現代工芸美術家協会常任顧問・審査員、現代工芸九州会会長、佐賀県陶芸協会顧問、佐賀大学美術科客員教授など数々の役職を歴任しており、日本の現代陶芸に大きく寄与した人物とされています。
青木龍山の家は16世紀後半から続く窯元で、祖父・青木甚一の時に廃藩後に青木甚一の弟・栄次郎と共に国内外向けの日用品から貿易用の美術品まで手掛ける青木兄弟商会を立ち上げ、神戸に貿易を主とした支店も作るほど手広く商売を行っていました。
そのため、青木龍山も分家の長として会社経営に参加していましたが会社は倒産となり、この事がきっかけでデザイナーを目指していた青木龍山は個人作家としての道を歩むようになりました。
会社が他の人の手に渡ってからは高校の美術教師として働き、帰郷してから本格的に作陶生活を始めました。
天目の技法に新しい可能性を開拓しようと「陶心一如」の精神で作陶を続け、染付にも新しい技術を導入して数々の賞を受賞していきます。
輝かしい功績を残した青木龍山ですが、生涯弟子をとる事はなく、最後まで妻と二人三脚で作陶を続けました。