長崎県出身の昭和~平成時代に活躍した日本の彫刻家です。
穏健な写実をもとに、理想化を加えたブロンズによる肖像やキリスト教を主題とした作品を制作しています。
ロダンの叙情的な作風よりも、アントワーヌ・ブールデルの構築的な造形を評価し、着衣の男性像を好んで制作しました。
また、学習院中等科正門前の『桜咲く校庭(学習院生徒像)』や、大分市駅前の『大友宗麟公』、長崎平和会館前の『原爆殉難教え子と教師の像』などパブリックコレクションも多く手掛けています。
幼い頃から彫刻に興味を持っていた富永直樹は、長崎中学5年生の時に市内の呉服店のショーウィンドウに飾られていた裸婦像に魅せられ彫刻家を志し、東京美術学校彫刻科へ入学します。
ここでは北村西望に学んでおり、確かな造形力と具象彫刻を学び、首席で卒業した富永直樹は研究科に進み、更に技術に磨きをかけました。
その後は精力的に制作活動を行い、日展を中心に作品を発表していきます。
こうして、彫刻家としての功績が認められると日本芸術院会員に推挙され、文化功労者、文化勲章および勲三等瑞宝章受章者となりました。
また、インダストリアルデザインの祖としても活躍し、黒電話4号機の意匠を手がけたほか、日本初のカラー電話、家具調テレビなどのデザインも行いました。