中国の墨匠で、清の乾隆時代に活躍した人物です。
汪節庵と同じ時代に活躍した墨匠として汪近聖、胡開文、曹素功がおり、合わせて清代製墨の「四大家」と呼ばれています。
しかし、有名な割には残されている記録が少ないため、四大家の中でも謎の多い墨匠とされています。
汪節庵の墨匠としての活動期間は短かったのですが、多くの作品を制作し、嘉慶年間の士大夫の特注墨をほぼ独占し、簡素で力強い銘墨を残しています。
しかし、墨は消耗品ですので現存する作品の数は少なく、中古市場でも高値で取引されている墨匠の一人です。
そんな汪節庵が手掛けていたのは「徽墨(きぼく)」と呼ばれる中国・安徽省で作られる墨で、中国・安徽省は良質の水・松・膠・漆が採取でき、墨を作るのに適した条件が揃っていました。
そのため、中国・安徽省で作られる墨は高級品として多くの文人や官僚たちに愛されてきました。
この時、墨匠は汪節庵以外にもたくさんいたのですが、墨匠の位置づけが芸術家という扱いではなかったため、名を残した墨匠は少なく、現在でも研究者によって研究・解明が続けられています。
この他にも汪節庵がその名を残した理由としては文房清玩の趣味を持っていた乾隆帝が汪節庵の腕を見込んで乾隆御墨の製作を命じ、数々の御墨を献上した事でした。