日本でで植物油を燃やして煤を採取する方法の油煙墨が作られるようになったのは藤原氏の氏寺として建立された奈良・興福寺ニ諦坊です。
財力が豊かであったため、原料となる胡麻油も大量に所持しており、たくさんの油煙墨を作る事ができました。
こうして南都(奈良)の墨=油煙墨(南都油煙)として全国に知られるようになり、興福寺ニ諦坊でつくられていた墨の墨型(銅製)が今もなお残されています。
戦国時代に入ると、織田信長や豊臣秀吉らの商工業興策によって墨工や墨屋として店舗を持ち商売をするようになり、菜種油の伝来によって南都油墨はさらに発展していきました。
しかし、寛保年間に入ると紀伊德川家によって良質な松煙墨が登場し、墨の市場を独占していた奈良の墨は窮地に立たされましたが、それにも負けない松煙墨を作り、なんとかNo.1の地位を保ち続けました。
こうして奈良墨は今もなお、毎年10月中旬から翌年の4月末までの期間に制作されています。
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