朱墨は朱粉と膠を練り合わせて木型で形を整え作られた朱色の墨の事です。
そのため製造方法は墨と一緒で、日本での産地も奈良県が90%以上を生産しています。
朱墨の原料は辰砂、丹砂と呼ばれる天然に採掘される鉱産物で、貴重品とされてきました。
古くは「朱」の事を「丹」と呼び、防腐効果も発揮する事から、天平時代の平城京の建物の寺社の柱には朱が塗られていました。
また、古代中国や日本でも貴人の墳墓から大量に朱が発見されており、これは朽ちる事のない永遠の世界を演出するためでした。
その後、中国で水銀と硫黄を科学反応させて人工的に朱を生み出す事に成功し、その方法が日本にも室町時代末期に伝わってきました。
しかし、当時の日本では朱は大変貴重な品物とされていたため、民間人が朱を採掘したり、売買する事は禁止されていた事から、人工的に朱を作り出す方法も制限されていました。
江戸時代になると朱の製造、売買に独占権を認め、堺と江戸に朱座が設けられ、はじめての朱の製造が行われました。
その代り朱座は多額の税金を上納する事が条件とされており、江戸時代でも朱は貴重品である事は変わりませんでした。
明治時代になってようやく一般的にも朱を使用する事が認められ、朱墨で訂正したり、朱で印判を押す事ができるようになり、需要も広まっていきました。
奈良で朱墨が作られるようになったのもこの頃からで、木下新六という人物が初めて奈良で朱墨作りを行いました。
その後、大阪で朱作りをしていた落合省吾が奈良中筋町に移り住んで朱墨作りを行うようになり、現在もこの2軒は朱墨作りを行っています。
ちなみに朱には水銀系の朱と鉄系の朱の2種類の天然材料があり、水銀系は純粋な朱色で、鉄系の朱はやや黒ずんだ紫赤色をしているのが特徴です。