滋賀県の無形文化財に指定されている硯で、水持ちが良く、書きやすい墨が磨れるので書家の間では高い評価を得ている硯です。
高島硯の始まりは、天正年間、織田信長によって比叡山三千坊の焼き討ちにあい、一族郎党を引き連れ落ち延びた、能登之守高城の末孫・貞次だと言われています。
現在の安曇川町で農業を営み生計をたてていた貞次は、阿弥陀山で偶然唐の硯の素材に良く似た石を発見し、一族総出で硯の彫刻、製作を始めました。
江戸の後期には歌人・中江千別が農業の傍ら、高島硯を行商しながら伴資芳・村田春門などの諸国の文人・学者と親交し、北陸、関東、京阪地方ではその名を知られるようになり、明治に入って虎班石の鉱脈が発見されると全国的に知れ渡るようになり、大正天皇の御大典記念に虎班石硯が献上されました。
しかし、昭和に入ってから採石がほとんど出来なくなり、現在では鉱脈も閉鎖され、職人も一人しかいないため郷土美術品として完全受注生産で製作を続けています。
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