創業年=1919年
創業者=梶原熊雄
創業国=日本
「ペンタックス」は、現在、デジタルカメラ事業を展開するペンタックスリコーイメージング株式会社のブランド名であるが、かつては旧旭光学工業が販売した一眼レフカメラのブランド名として有名である。「ペンタックス」という名称の由来は、1957年発売のカメラ「アサヒ・ペンタックス」の商品名による。
1919年、梶原熊雄が眼鏡用レンズの研磨をする「旭光学工業」を設立。戦後の1952年に日本初の35mm一眼レフカメラ「アサヒヒフレックスⅠ」を開発して以来、一眼レフカメラのパイオニア的存在として各種のカメラを開発・販売してきた。2002年に「ペンタックス株式会社」として社名を変更。2007年にHOYAの子会社となったが、2011年にリコーがHOYAが持つカメラ事業を買収し、現在は「ペンタックスリコーイメージング株式会社」が「ペンタックス」ブランドのカメラ事業を引き継いでいる。
カメラ市場のシェアではニコンやキャノンの後塵を拝するが、中判カメラではペンタックス645がロングセラー機となったり、デジタルカメラ部門では小型軽量化(レンズ交換式一眼レフにおいて世界最軽量)を実現した廉価な一眼レフ「ist DL」を販売、その後もKマウントと中判645マウントのデジタル一眼レフに、最小最軽量のノンレフレックスカメラのQマウントを加えて多マウント展開するなど、ニッチ市場で特徴ある製品を出している。また過去のレンズ資産についても純正のアダプター1枚で、1957年以降に発売されたレンズは全てが利用できるなど、長く利用しているユーザーにも配慮を見せている。
日本初の35mm一眼レフカメラ「アサヒフレックスI」は、エバーセット型リターンミラーを採用した。その後、「アサヒフレックス」時代の独自ねじマウントから「ペンタックスAP型」で国際標準のM42マウントを採用し、1964年に発売した「アサヒペンタックスSP」の成功よりM42マウント=ペンタックスマウントと呼ばれるに至り、国内アマチュア向け一眼レフカメラでは指折りのシェアを獲得した。1975年「ペンタックスK2」で機能拡張のためKバヨネットマウントに変更した。このマウントはデジタル一眼レフカメラ時代となった現在でも上位互換の形で継続している。なお、Kマウントは特許を公開する形で同業他社にも採用され、ある程度の業界標準を作ることに貢献した。
中判カメラとしては、「アサヒペンタックス6×7」「ペンタックス645」などヒットカメラがある。とくにデジタル中判カメラである「ペンタックス645D」は有効約4000万画素、44×33mm大型CCDセンサーを搭載したもので、100万円を切る価格と相まってプロ仕様としても画期的なカメラとして人気を博している。