王献之を買取ります
王献之は中国の書家で、中国・東晋時代に活躍した書家・王羲之の末子として知られています。
字(あざな)を子敬といい、父・王羲之が大王、王献之が小王として合せて「二王」と称され、伝統派の基礎を形成し、後世の書人に大きな影響を与えています。
特に一筆書という中秋帖などに見られる続け書き(連綿)に見られる書風は王鐸や米芾などに影響を与えた事で知られています。
しかし、その書の真筆は残されておらず、現在、王献之の書とされているものは全て模写されたものです。
王献之は幼い頃から父・王羲之に書を学び、書の才能に恵まれ開花していった王献之は父・王羲之にはない華やかで優雅な書風が非情に高く評価されました。
しかし、趣だけは父・王羲之の方が優れていると評価されてしまいましたが、自身は自分の書は決して父親に劣っていないと自負していました。
何不自由なく恵まれた環境で育った王献之はとてもプライドが高く、何があっても自身の姿勢を決して崩す事なく、何事にも動じない芯の強さを持っていました。
しかし、その芯の強さは様々な逸話が残されており、通りがかりに面識もない人の庭園に入り込み、見物した上に傍若無人のふるまいをしたあげく追い出されたが気にもかけなかったとか、献之の家に入った泥棒に「我家で一番大事な青毛氈だけは置いてゆけ」と声をかけて追いはらったなどが残されています。
父・王羲之と常に比べられていましたが、その実力は若くして名を馳せ、州主簿より始まり、最後は中書令(国の機密文書を続括する長官)にまで出世しており、45歳という若さでこの世を去りました。
また、一人娘は晋の安帝の皇后となり、その血縁として王献之は没後に侍中・特進光禄大夫・太宰を追贈され、憲と諡(おくりな)されています。