中国・湖南省出身の中国の政治家、軍人です。
中国共産党の長老で構成された集団・八大元老の1人で、保守派の大物として存在感を示しました。
中国人民解放軍副総参謀長、国務院副総理、国家副主席などを歴任しており、中国で最も有名な軍人の一人としてその名を挙げる事ができます。
王震は若くして14歳から28歳の若手エリート団員を擁する青年組織「中国共産主義青年団」に参加しており、日中戦争や国共内戦では政治委員として各地を転戦して活躍を見せていました。
中華人民共和国が成立すると新疆ウイグル自治区に進駐し、ウイグル人弾圧と漢族入植事業を推進しました。
この時王震は反乱分子と見なせば片っ端から命を奪っており、王震側の兵士が1人命を落とせば、現地人の命は20人以上奪われたといわれています。
また、厳戒令を出していた時はウイグル語とウイグルの服を禁止するなど、その辣腕は今でも語り継がれています。
そのため、ウイグル人の間では子供を叱りつける時に「言うことを聞かないと王震がくるぞ」と言ってしつける事もあるそうです。
その後、北京へ戻った王震は上将の階級と一級八一勲章、一級独立自由勲章、一級解放勲章を授与され、最終的には中華人民共和国副主席まで上り詰めました。
また、第二次天安門事件でも強硬論を唱え、共産党中央学校での演説では「わしを誰だと思っている。大学生が300万いてもこっちには300万の解放軍がいる。学生連中の脳天をぶち破るのは簡単だ」と言い放ったそうです。