中国・陜西省出身の清王朝末期~中華民国時代に活躍した中国の政治家、書家です。
中国同盟会に参加するなど政治家として活躍する一方で、画数の多い漢字を楷書で書く事の限界を感じ、それまでに各々が思い思いに崩してきた草書の文字を統一して標準草書を創立した事で知られています。
そのため、中国、台湾の書道界では「当代の草聖」といわれており、中国書道界に大きな功績を残しました。
幼い頃から三原宏道書院、涇陽味経書院、西安関中書院深造で勉学に励んだ于右任は癸卯科挙人となります。
しかし、漢詩の内容が反体制ととられて当時の清朝政府から追われ日本へ留学する事になりました。
その日本では孫文と出会い、東京で結成された政治結社・中国同盟会に参加します。
『民呼日報』『民立報』などで内政を批判し、国際正義を広め、辛亥革命を支えた革命派として活躍を見せます。
南京で中華民国臨時政府が設立されると、于右任は交通部次長に任命されましたが、反袁世凱闘争に参加します。
その後、国立上海大学の創設に参加して校長をつとめ、国民政府が広州で設立されると中国国民党中央執行委員に選出されるなど政治家として忙しい日々を送りました。