【郭沫若】買取作家・取扱い一覧 中国美術

郭沫若

郭沫若
郭沫若(1892~1978)

郭沫若の作品を買取ります

 
郭沫若は中国・四川省楽山市出身の詩人・文学者・歴史家で、中国の近代文学・歴史学の先駆者として知られています。
字(あざな)は鼎堂で、号を沫若といいます。
字とは昔の中国で成人男性が実名以外につけたあだなのようなもので、号は画家・文人・学者などが本名の他につける名前の事です。
 
22歳の時に日本へ留学した郭沫若は、第一高等学校予科で日本語を学び、岡山の第六高等学校を経て九州大学医学部を卒業しました。
この経緯からも分かるように、郭沫若は当初は医学の世界に進む事を希望していました。
しかし、ホイットマンなどの思想を受け、文学を優先する事を決めて日本に在住していた郁達夫、成仿吾、張資平、鄭伯奇らと共に現代文学の社団「創造社」を創立します。
その後は国民党に参加し、北伐軍の総政治部主任となりますが、蒋介石と対立し、南昌蜂起に参加し、すぐに中国共産党に加入しています。
そのため、蒋介石に追われ日本へ亡命する事となり、千葉県市川市に住んで中国史の研究に没頭しました。
その後、日中戦争が勃発すると日本で出会って結婚した日本人妻と子供を置いて中国へ戻り、国民政府に参加し、戦後は日本に戻る事はなく中華人民共和国が成立すると政務院副総理、中国科学院院長に就任し、女優をしていた別の女性と結婚し、家庭を持っています。
文化大革命発生直後には全人代副委員長として常務委員会に出席しており、「今日の基準で言えば、私が以前に書いた全てのものは、厳格に言えば全て焼き捨てるべきで少しの価値も無い」と自らの批判を行いました。
 
こうして中国の怒涛の時代を駆け抜けてきた郭沫若は、中国の伝統の詩歌にとらわれず、時代にあった詩風を作り出した事で高い評価を受けており、作品の中には北京人民芸術劇院によって上演され、現在でも繰り返し上演されている作品も存在します。

郭沫若年表


1892年 生まれる
1914年 日本へ留学する
1921年 詩集「女神」を発表する
創造社を設立する
1922年 詩「创造季刊」を発表する
1926年 中山大学準備委員会の会員となる
1927年 北閥軍の総政治部の副主任に就任する
1928年 日本へ亡命する
1930年 中国古代社会研究を発表する
1937年 日清戦争により帰国する
1954年 全人代常務副委員長に就任する
1963年 中日友好協会名誉会長に就任する
1966年 全人代副委員長として常務委員会に出席する
1978年 86歳で逝去

1892年 生まれる

1914年 日本へ留学する

1921年 詩集「女神」を発表する

00000年創造社を設立する

1922年 詩「创造季刊」を発表する

1926年 中山大学準備委員会の会員となる

1927年 北閥軍の総政治部の副主任に就任する

1928年 日本へ亡命する

1930年 中国古代社会研究を発表する

1937年 日清戦争により帰国する

1954年 全人代常務副委員長に就任する

1963年 中日友好協会名誉会長に就任する

1966年 全人代副委員長として常務委員会に出席する

1978年 86歳で逝去


郭沫若代表作


『女神』
『题毛主席在飞机中工作的摄影』
『太阳问答』
『咒麻雀』
『骆驼集』

『女神』

『题毛主席在飞机中工作的摄影』

『太阳问答』

『咒麻雀』

『骆驼集』


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