中国の陶芸家で、生家は陶芸を営んでおり、18歳で家業を継承しました。
中国で有名な作家に師事し、古代壺の研究と制作に専念し、中国国家軽工業部が認定した中国工芸美術大師の資格を紫砂作家として初めて取得した事で知られています。
「大師」とは「大きな業績を挙げ、人に尊敬される学者や芸術家」と定義にはあり、日本の重要無形文化財保持者のように国から与えられる呼称ではなく、どこかの権威機関からの授与もありませんが、「大師」は中国の芸術家たちにとってはとても名誉ある事なのです。
顧景舟は紫砂壺の名手として知られ、政府から技術の指導者として指名され、紫砂工場で高海庚、李昌鸿、沈遽华、束凤英、吴群祥など後進の指導にも尽力しています。
この他にも紫砂技術の研究室の所長をつとめ、現代中国紫砂壺の名手としてその名を残しています。
また、朱泥で作ってから焼く前に黒く染める顧景舟の独特の茶壺は、使い込むと微妙に黒の肌の下から赤っぽさが覗いて漆塗りのような風合いになり、実用品としての機能を保ちつつも、芸術性溢れる茶壺でも知られています。
顧景舟は全国の様々な工芸美術の代表大会へ参加し、オーストラリア、東南アジアなどの博物館・文化財館へ作品を寄贈するなど、後世に数多くの作品を残しています。
また、顧景舟の工房作品も評価が高く、品物によっては高値で取引されています。