中国の清王朝末期に活躍した紫砂陶芸家で、宜興窯の名工として知られています。
黄玉麟が多く手掛けたのは紫砂壺という茶器でこれは日本でいう急須の事です。
中国の宜興市は紫砂壺の原料である良質の紫泥が採取できる場所としても有名で、多くの紫砂陶芸家を輩出してきました。
中でも紫砂壺は現在でも高値で取引されている事も多く、黄玉麟も高値で取引される作家の一人としてその名を挙げる事ができます。
呉大澄や顧茶林と交友があり、特に呉大澄は金石の収集家でもあり、金石学者としてその名が知られていました。
金石とは中国で金石学と呼ばれ、古代の金属器や石刻の上に刻まれた銘文や画像を研究する学問の事で、多くの書家や陶芸家たちが作品に反映させるモチーフの一つでもあります。
そのため、黄玉麟も金石に触れる機会が多かったので金石にインスピレーションを受けた作品を見る事ができます。
黄玉麟が作り出した急須は、普通の急須のように丸くて光沢があるものから、まるで岩のような凹凸があるものまで幅広く制作しています。
中でも魚化龍壺という壺本体に波雲を表す紋がある魚が龍に変身するという中国の物語をモチーフにした作品をデザインした事は有名で、黄玉麟が活躍した時代では流行したモチーフでしたが、現在では残念ながらこのモチーフを見かける事が少なくなってしまいました。
黄玉麟の作品は制作された数が多くない事や、岩のような急須は他の作家ではなかなか見る事が出来ないため、収集家などから人気の高い作家の一人とされています。