中国・明朝末期に活躍した陶芸家、茶壺作家で、宜興窯の三名工の一人で時大彬、李仲芳と「明代三大紫砂の妙手」といわれます。
その中でも現在の茶壺の基礎を築いたとされる時大彬とは親交が深く、師弟関係でもありました。
また、造形美術の才能もあり、通常の急須の形では飽き足らず、風呂敷に包まれたような形や桃の形、ハスの花の形など色や形を多彩に作り出し、後世に大きな影響を残しました。
その中でも西施壺という球形で温度を保つのに適した、蓋が大きめの茶壺を創作した事は実に大きな功績で、現在でも多く使用されている茶壺のデザインとなっています。
父親は有名な陶芸家で子供の頃から父親に陶芸を学んでいました。
後に時大彬に倣ってたくさんの茶壺を制作し、古代陶芸の研究を行った事で名声は高まり誰もが知る陶芸家となりました。
しかし、晩年になっても師である時大彬の作品には及ばなかったと嘆いていたようです。
徐友泉の子も技に巧みな陶芸家として知られており、徐友泉の事を「大徐」、徐友泉の子の事を「小徐」と呼んでいたそうです。
また、茶壺以外にも鉢などの制作も行っていたようで、作品が多数残されています。