中国の清の時代に活躍した画家で、浙江省湖州市徳清県出身です。
長崎に2年間ほど滞在しており、中国では時代遅れとなっていましたが、精緻な描写と濃密で華麗な彩色が当時の日本の画家たちに新しい気風をもたらした事はとても有名で、円山応挙、伊藤若冲、与謝蕪村、渡辺崋山なども強く影響を受けています。
沈南蘋は絹織物商だった父親が画家・胡湄の家に行くたびについて行き、胡湄が描く様子をずっと見ていた事で、それを見た父親が胡湄に入門させたと伝えられており、胡湄のもとで彩色花鳥画や人物画を学びました。
その後、清朝の宮廷画家として仕えていた沈南蘋ですが、徳川吉宗によって日本に呼ばれる事となります。
これは、徳川吉宗がこよなく絵を好んでおり、特に室町時代から伝統的に武家に愛好された宋・元時代の絵を欲しがりましたが、宋・元時代の名画は中国国内でも秘蔵とされており、入手困難であった事から代わりに中国人画家にそれに近い絵を描かせようと考えたため、それに適任だった沈南蘋が代表に選ばれたからでした。
沈南蘋の登場は当時の日本画壇に大きな影響を与え、写実的な花鳥画の技法を伝え、硬直化していた魅力の乏しい狩野派の画風に変わるもとして多くの画家が沈南蘋の画風を取り入れたといわれています。
沈南蘋が帰国してからもその人気は衰える事がなく、沈南蘋の作品は度々輸入されており、現在でも数多くの作品が市場に出回っています。