中国・浙江省出身の清朝時代に活躍した中国の文人画家、書家です。
画・書・篆刻・詩文に精通しており、他の作家と比較すると才能が群を抜いているといわれ、多くの作品を残した事で知られています。
書では隷書が特に優れているといわれ、篆刻は丁敬や黄易から学び、独自の技法を加え、刀でなく、まるで筆を使っているかのように作り上げました。
その中でも篆刻には優れた才能を見せ、高い評価も受けており、西泠八家の一人に挙げられています。
また、曼生壺(まんせいこ)と呼ばれる茶壺を作った事で知られており、茶壺とは中国茶器の一種で、日本で言う急須の役割を持っており、実用性はもちろん、芸術的、美術的価値を兼ね備えたものも存在します。
陳鴻寿はこの茶壺に装飾として銘文を刻み18種類もの茶壺を考案しました。
陳鴻寿は号に曼生や、曼寿などを使用しており、茶壺の曼生壺はその号に由来します。
彼は幼い頃から茶壺が大好きで、自分の好みにあったものに出会うとなかなか手放さなかったという逸話が残されており、幼い頃から優れた感性を持っていた事が分かります。
その後、科挙によらず優秀な人物を推薦によって選抜する官僚の登用制度によって贛楡(現・山東省)、溧陽県(現・江蘇省)の県知事を歴任し、溧陽県の知県事であった時、隣接する宜興県で茶壺が盛んに作られていた事を知ると18種類のアイデアで茶壺の制作を行い曼生壺を生み出しました。
その後、南河の海防同治をつとめるなど官僚としても活躍を見せました。
病により55歳という若さで亡くなっていますが、官僚、文人として多くの功績を残したとして現在でも高く評価されています。