熊本県出身の八重山上布の作家です。
八重山上布の第一人者として活躍し、古典の復元作業やオリジナルの作品は高く評価されています。
かつて石垣島で製作されながら大量生産を求める近代化の流れの中で完全に失われてしまった括(くく)り染の八重山上布を復活させ、その技法を用いて石垣島の自然に育まれた植物を使い、意欲的に新しい事に挑戦している姿は多くのメディアで取り上げられています。
ちなみに八重山上布とは沖縄県の八重山地方を中心として生産されている苧麻を原料とする麻織物で、通気性が良くさらっとした着心地が清涼感を感じ、暑い季節には重宝されている織物です。
新垣幸子は疎開先の熊本県で生まれましたが、戦争が終わり沖縄へ戻ると琉球政府立八重山高等学校を卒業し、保険会社で働くようになります。
そんな中、生涯を通じて出来る手仕事がしたいと思うようになり、首里織りの作家・大城志津子の工房をたずね、染織家になる事を決意しました。
影響を受けた大城志津子の弟子になりたかったのですが、当時、弟子入りを待っている人たちが多くいたため、新垣幸子は染織の基本を学ぶため仕事を辞め、沖縄県立工業試験場染織課で研修を受けました。
その後、改めて大城志津子の指導を受け、一年後に故郷の石垣島へ帰りました。
石垣島ではごく自然に八重山上布に関わる事となり、八重山上布の工房に入ります。
しかし、その頃の八重山上布には捺染染色の技法しかなく、この技法は小さな柄には適していますが、大きな柄になると型染めやプリントのように見えてしまい、新垣幸子は納得がいきませんでした。
その後、上京した時に日本民芸館でたまたま展示されていた様々な色の手括りの八重山上布を目にし、いろいろな染めがあった事を知り、創作意欲がかきたてられます。
石垣島に戻ると括りの技法を用いた八重山上布の制作に取り掛かり、沖展などの公募展に出品を重ね、多くの賞を受賞していきました。
石垣島では年間を通して4、5回収穫できる苧麻ですが、春と秋に収穫できる糸が良質とされており、夏は繊維がかたく、冬は粗いというふうに品質に差が生じてきます。
そのため新垣幸子は、着尺、のれん、タペストリーなどその用途に応じた繊維を使いわけています。
また、苧麻を糸にする作業では、経糸は撚りをかけて行うため大変手間がかかり、紡ぎ手もほとんどいないのが現状で、八重山上布の伝統が失われないように石垣織物事業協同組合の後継者育成の講習で糸紡ぎも教えています。