帯屋捨松は京都西陣に本社を置く帯専門の織元です。
創業は江戸時代の安政年間で、歴史ある社屋は「景観重要文化財」と「歴史的風致形成建造物」に指定されています。
かつて帯屋捨松では量産も行っていましたが、現在では高品質な帯を制作する事に力を注いでおり、多くの人々を魅了し続けています。
帯屋捨松という屋号は7代目木村博之の曾祖父の名前「捨松」が由来となっています。
この「捨松」という名前からマイナスなイメージが浮かぶと思われがちですが、実はプラスのイメージを持つ言葉なのです。
昔の日本では子供の死亡率が高く、疫病神にさらわれるなどと言われていました。
いつからか「捨て子は丈夫に育つ」「疫病神も捨て子には興味を示さない」など言われるようになり、子供の無事な成長を願って、松の木の根元に捨て子のまねごとをするようになります。
こうして「捨松」という名は、「わが子が無事に育って欲しい」と親の願いが込められたものだったため、「捨松」という屋号を選んだというわけなのです。
帯屋捨松が量よりも質に重きをおくようになったのは、図案家で染色家の徳田義三に出会った事でした。
当時の帯屋捨松の当主であった7代目は徳田義三に弟子入りし、帯作りの技術と精神を学び、それを帯屋捨松の中軸とした事で帯屋捨松が量よりも質に重きをおくきっかけとなりました。
現在は京都・西陣の本社工場にて意匠、デザイン、配色をまかない、製織の約7割を日本国内で、残りの3割を中国の工場で行っています。
帯屋捨松が品質を追求した帯の制作に力を入れているにも関わらず、中国に工場を持っている事には大きな理由があります。
もちろん、コストダウンもその理由の一つになりますが、中国では蘇州刺繍など繊細で精巧な技術が古くから存在しており、この事からも中国の伝統手工芸品は世界的に見ても高いレベルを誇っている事が分かります。
また、中国の人たちは左右の区別なく両手を利き手にできるほど器用な民族もいる事から、しっかりと技術と制作に携わる精神を教えれば高品質の帯を織る事ができると考えた事が大きな理由です。
そんな中国の工場ではすべて帯屋捨松本社の品質管理のもと常駐の日本人スタッフが運営しています。
こうして帯屋捨松では高い品質ながらもリーズナブルな値段で提供する事を実現しており、着物を着用する人達から絶大な人気を得るようになりました。
帯屋捨松では、西陣伝統の分業制を廃止し、紋図(もんず)から緯巻き(ぬきまき)、整経(せいけい)まで一人でできるよう、後進の指導と技術継承を行っています。
これは西陣の職人の高齢化や後継者不足から、一つの技術でも欠いてしまうと西陣織という伝統が失われてしまう事を防ぐためでした。
また、数十台ある機(はた)の一台一台が異なる組織に対応できるため、袋帯はもちろん、九寸、八寸、夏袋帯、夏九寸、夏八寸など沢山の種類の帯を作り出す事ができるため、常時30種類以上を制作しており、品数の多さも人気の秘密の一つとされています。