アットゥシ織は北海道のアイヌの間で作られていた樹皮衣です。
原材料はオヒョウやハルニレなどニレ科の樹木や、シナノキなどシナノキ科の樹木の皮で、表皮の一枚内側にある靱皮(じんぴ)をはぎとり、沼の水や温泉に漬け、柔らかくなった皮を細かく裂いて繊維を取り出して撚り合せて糸を作ります。
この糸を腰機(こしばた)と呼ばれる織り機で織って布にしたものがアットゥシ織です。
原材料の中でもオヒョウは耐久性が高く好まれていましたが、この木は深い山の森に生えていたため、雪で歩きやすい冬に何日もかけて採取していたそうです。
ちなみにオヒョウは別名アツシノキ(厚司の木)と言い、アットゥシ織の語源の一つとされています。
アットゥシ織は17世紀頃から記録に残されおり、当初は時給自足の生活の中で着られていました。
のちに輸出用の産品として作られるようになり、18世紀後半には鰊粕、身欠きニシンや木材などとともに本州へ大量に運ばれました。
耐久性に優れ織目も細かったため、東北地方や北陸地方など雪深い地域を中心として日本各地で反物や衣装として消費されるようになります。
19世紀に入るとアイヌが和人(日本人)との儀礼の場に出る際の衣装に規制がかかり、中国・日本産の絹や木綿の服またはアットゥシ織の服のみとされ、アイヌの人々が全てアットゥシ織を着用していたわけではなかったため、獣皮衣を着用していたアイヌの人々にも手間暇のかかるアットゥシ織が広がっていきました。
アットゥシ織に見られる文様は普段着にはつけられる事が少ないのですが、晴れ着の場合には襟や袖などの部分に和人が持ち込んだ木綿の布を貼り、そこへ刺繍もしくはアップリケを施しています。
更にこの文様の刺繍は地域ごとに違っていて、かつてはどの地域の人か一目見れば分かったそうです。
また、魔除けとして描線の始点と終点が必ず角ばった形状をしていたり、背中にある渦巻模様はアイヌでは神の使いとされているフクロウの目をモチーフにしたもので「背中にも目がある」という意味を持っています。
これら全てに共通する事は、着ている者の身を守るという事が根底にあり、母から娘、姑から嫁へと代々受け継がれる伝統の文様なのです。
近年ではアットゥシ織を織れる人も少なくなってきていますが、アットゥシ織を身近に感じてもらおうと衣類以外にもバックや小銭入れなどの小物も多く制作されています。