江戸小紋は伊勢型紙という細かい柄を彫り込んだ型紙を使って染め上げられている事が特徴で、江戸小紋作家・小宮康助が重要無形文化財保持者に認定される際、「京小紋」と区別するために誕生した言葉でもあります。
京小紋が京友禅の派手な柄いきと型染めを融合しているのに対して、江戸小紋は遠目から見ると無地に見えるほど緻密で細かな柄が染められています。
江戸小紋は、室町時代に武士が持っている武具の鎧の革所や家紋に使われていた模様が衣類に染められるようになった事が起源とされています。
江戸時代になると武士の間で裃(かみしも)が礼装となり、大名家によって紀州家は鮫、武田家は武田菱、徳川家は松葉や御召し十など、独自の模様が生まれました。
しかし、大名の間で柄を競い合うようになり、段々と豪華さが増し、それを見た江戸幕府は贅沢禁止令を出します。
規制をかけられた大名たちは、遠くから見た場合は無地に見えるように柄を細かくするようになり、非常に高い技術力を必要としていたため、大名たちはこぞって細かな柄を職人たちに依頼するようになりました。
当時の江戸小紋は格式の高いもので、一般庶民が着用する事は許されていませんでしたが、歌舞伎役者が好んで江戸小紋を取り入れ、武家屋敷の奉公人たちが主君家族から拝領して小紋柄の着物を着るようになると、庶民の間にも広がっていきます。
庶民たちは自分たちの感覚を盛り込んだ江戸小紋を作るようになり、身近にある物や宝尽くしなどのおめでたい柄、野菜、動物、気象などありとあらゆるものを柄として用いた「いわれ小紋」を生み出しました。
こうして江戸小紋のルーツが確立し、大名裃の柄が発祥のものを「定め小紋」「留め柄」いい、格式が高く、現在でも無紋のままでも礼装として着用する事が許されています。
江戸小紋を作り上げるには、実際に染め上げる江戸小紋の染め職人と、型紙を彫る伊勢型紙の彫り職人が必要で、現在では染め職人よりも伊勢型紙の彫り職人の後継者不足が問題となっており、江戸小紋の生産量は減少しています。
その一方で、小宮康孝、小宮康助などの重要無形文化財保持者も輩出しており、技術の伝承・保存にも力を入れています。