献上博多織は福岡市の主に博多地区で特産とされる絹織物で、近年では福岡市周辺にも産地が分散しています。
江戸時代に黒田長政が古くから博多の地で織られていた織物を江戸幕府に献上した事からその名が付き、最大の特徴は仏具の「独鈷」と「華皿」との結合紋様との間に縞を配した文様にあります。
この文様をもつ献上博多織以外にも特に最上な博多織も献上博多織と呼ばれる事があります。
また、五色献上と呼ばれる献上博多織があり、これは紫、青、赤、黄、紺の古式染色によるもので、五色献上も黒田長政によって献上されていました。
この紫、青、赤、黄、紺の五色は隋の思想で、森羅万象のあらゆる現象の基となるものは「木・火・土・金・水」の五つとした五行説を色と結び付けたもので、日本では儒教の五常に対応され、紫は徳、青は仁、赤は礼、黄は信、智は紺をそれぞれ象徴しています。
献上博多織のもととなった博多織は、1235年に満田弥三右衛門が弁圓和尚と共に中国の宋に渡り、6年間の滞在で織物、朱焼、箔焼、そうめん、じゃこう丸の5つの製法を取得し、帰国後に織の技法だけを家伝として「広東織」という独自の技術を加えられた織物がルーツとされています。
広東織が登場してから数百年が経った頃、満田弥三右衛門の子孫が中国の明に渡り、織物の研究を行いました。
帰国してから工法の改良を重ね、琥珀織のように生地が厚く、浮線紋や柳条などの模様の浮きでた厚地の織物を作り出し、その織物が作られた土地の名前をとって「覇家台織(はかたおり)」と名付けられました。
献上博多織のもとである博多織は古くから武士が締めていたもので、現在でも男性用の帯として用いられている事が多い絹織物です。
また、力士も締めているのですが幕下以上にならなければ博多織の帯を締める事は許されていません。
そんな献上博多織は現在、福岡市地下鉄の博多駅のシンボルマークとしても使われています。