昭和時代の染色家であり
重要無形文化財「型絵染」の保持者。
香川県木田郡三木町に生まれる。
香川県師範学校を卒業。
在学中より穴吹香村に師事し、日本画を学ぶ。
その後、京都美術学校図画師範科卒業後、
本人の希望で沖縄で教職に就く。
教師として沖縄に赴任した際に
色彩豊かな琉球の風物すべてに心引かた。
探求心に火が付いた芳太郎は教師生活の傍ら、
建築、彫刻、絵画、工芸などの研究に熱中。
感心した東京美術学校校長の正木直彦は
東京帝大教授で建築界の重鎮だった伊東忠太に紹介。
伊東も芳太郎の調査能力にほれ込み、
琉球芸術の共同研究を行うことになる。
伊東との知遇を得てすぐのころ
老朽化した首里城正殿を解体することを
東京で知った芳太郎は伊東に連絡。
伊東の働き掛けで
解体は止まり、
師弟の連携プレーが間一髪のところで首里城を守った。
この翌年、首里城正殿は国宝となる。
東京大空襲で大部分の蔵書や資料を焼失したが、
美術学校に保管していた琉球関係の資料は戦禍を免れていた。
これを機に、紅型再興に着手し還暦前で作家としてデビューする。
数々の受賞を重ね、1973年重要無形文化財「型絵染」の保持者となる。