福岡県久留米市の周辺地域で製造されている絣。
久留米絣が織り始められたのは寛政の終わり頃に
当時12歳だった米屋の娘・井上伝が考案したと伝えられている。
誕生後も改良・工夫を施して高度な技術を持つ木綿絣の産地として
名を高めると、全国各地に広まり日本の絣織りものに多大な影響を与えた。
昭和に重要無形文化財の指定を受けたが、
戦後からは他産地と同様に手織りものは減少し、
化学染料による染色、機械織が主流となってしまった。
しかし、手で括るあるいは織締技法を用いて染めた絣糸を
天然藍で染め、投杼機で織るという伝統技法は
「本場久留米絣」として健在している。