桝屋高尾は西陣織の機元で、1960年に高尾弘によって設立されました。
西陣でも特殊な高級織物を作る機屋として知られ、「かわり物屋」とも呼ばれています。
桝屋高尾の創業者である高尾弘は、100年後でも喜んで袖を通してもらえるような美しい織物を作り続けたいと思い、制作にあたっています。
桝屋高尾は徳川美術館から500年前の無地ねん金袱紗の復元を依頼され、それを見事復元に成功した事で一躍有名な機屋となりました。
復元を依頼された無地ねん金袱紗に使われていた技法は、現在ではとても使う事のできないような難しい技法を用いており、どの機屋も復元依頼を断り続けてきました。
そんな中、桝屋高尾にも依頼が舞い込み、高尾弘は先の見えない技法の復活と復元に挑む事にしました。
現在の金銀に光る帯は緯糸に金糸などを織り込み制作されていますが、無地ねん金袱紗の場合、糸の一本一本に髪の毛の1/8ほどの細い糸が巻きつけられてから織られているという非常に複雑な技法が使われていました。
この技法解明も大変でしたが、何より技術を復活させる事の方が大変で、何度も失敗を繰り返し、やっとの思いで復元する事ができました。
こうして復元された技法を後生にも残したいとの考えから高尾弘は、復活させた技術の使用を徳川美術館の許可を得てその技術を応用し、緯糸の芯を色糸にした「彩ねん金(いろねんきん)」や「ねん金綴錦(ねんきんつづれにしき)」を生み出しました。
また、高尾弘自らシルクロードや南米ペルーなどを歩き、各地の美しい民族衣装や装飾用の布を見て回り、表層的な美しさだけを表現するのではなく、その織物の育んだ文化や文明までもを探求し、独自の美意識によりオリジナリティあふれる作品を生み出していきました。
この他にも五大文明(中国文明、アンデス文明、メソポタミア文明、インダス文明、エジプト文明)をテーマにした作品制作を数年かけて行い、西陣の伝統と融合させた桝屋高尾ならではの作品を作り上げました。
現在は京都、東京、名古屋を中心に日本各地で創作展や個展を開催しており、コアな着物ファンも多く、その要望に応えるように制作活動を続けています。