京都府出身の昭和~平成時代に活躍したろう染め一筋の日本の染織家です。
皆川泰蔵は旧姓を八田と言い、近代染色の先駆者である皆川月華の長女・千恵子と結婚した事で皆川姓となりました。
日展評議員、日本染色造形協会理事長、鹿児島女子短期大学教授などをつとめ、後進の指導にもあたった現代工芸界の重鎮で、京都の祇園祭の鉾にも大作が飾られ、木版画などの額装になった作品や屏風などはインテリアとしても人気があります。
また、作品は日本各地の美術館に多数収蔵されている事からも高い人気を誇っている事が分かります。
京都府で生まれた皆川泰蔵は、父・八田源七の友人で染色家だった山鹿清華の勧めで京都市立美術工芸学校図案科に入学し、卒業してからはろう染め一筋で染織家として活動を始めます。
昭和20年代は民家の詳細なスケッチから「染色日本の民家」をテーマに制作を行うようになり、昭和30年代に入ると京都や奈良の神社や仏閣、また庭園に視野を向け、丹念な観察からより単純化と抽象化を進めた独自の作風を確立します。
こうして、装飾性を強調した構図、新鮮な色彩と新技法を駆使して独創の世界を築き上げ、対象から受けた感動の残像をぎりぎりまで単純化し、現実の風景を抽象化した力強く魅力に満ちた作品を数多く制作しました。
また、訪中日本工芸美術家代表団員として中国を視察した際、異国の文化は新たな刺激となり、その後は中国だけでなく、韓国、東南アジア、インド、中近東、ロシア(旧・ソビエト連邦)、ヨーロッパ各地を訪ね歩きながら仕事を続け、自らの作品を追求する一方で、後進の指導にもあたるなど幅広い活躍を見せました。