鎌倉時代以前に南部地方に技術が伝えられた染織。
かつては身分の高い人しか着ることができなかった紫。
その色は紫草の根から取った染料で染められていた。
明治時代になってからその技法は完全に途絶えてしまう。
理由は根を抜いて使うために紫草が少なくなってしまった事、
そして化学染料によって苦労せず紫色が出せるようになった事だ。
しかし、大正5年には「南部紫根染研究会」が設立され
紫根染めの技術を知る人から技術を習得し、復興に務めた結果、
平和記念東京博覧会で作品が入賞し、藤田謙が茜草を使った茜染を開発し、
さらに伝統の素朴な模様に加えて、新しい模様を多く生み出し
現在の南部染めの基礎を見事に作り上げた。
紫草は現在でも入手が難しいが、
化学的な手法も応用しながら懸命に伝統を守り続けている。