洛風林(らくふうりん)は西陣の帯地問屋として知られており、和洋東西、古今を問わず、メキシコのマヤ文明、ペルーのインカ文明など、自身の美意識の琴線に触れた帯を作り続けています。
同じ西陣の宮内庁御用達である川島織物や龍村美術織物の帯とは違ったオリジナル性の高い帯を制作し、そこには自社で帯地を織る事がない洛風林らしさが表れています。
ちなみに自社で帯地を織らない事から洛風林の帯には「洛風林」の名前と帯地を制作した織元の名前が記されています。
洛風林は1954年に堀江武によって始められ、その屋号の由来は堀江武の修行先である当時の西陣帯地界の重鎮であった三宅清治郎が「洛園」と称した文化人、趣味人であった事から一文字とってつけられたものでした。
ちなみに「洛」とは京都という意味を持ち、京都の風、新しい風、息吹を入れたグループという意味合いも持っているようです。
洛風林創業者の堀江武は三宅清治郎のもとでは「特作部」という部署で図案家たちを指導する立場にありました。
そこで働く図案家たちは伝統的な西陣の職人ではなく、新進気鋭の芸術家のような人が多く、堀江武は彼らの図案展を開催しようと試み、図案展は見事成功をおさめました。
その後、独立した堀江武は「真実に美しいものは、常に新しい」を信条として「洛風林」として独自の作品制作を開始します。
三宅清治郎のもとで修行を重ねていた頃、白州正子、河合寛治郎、棟方志功など多くの文人化たちと交流し、鑑識眼を養いました。
また、海外旅行が珍しい時代に世界中を旅した事で培われた美意識と、古今東西の染織品、工芸品を蒐集、研究からイメージした帯を同人と呼ばれる機屋に織ってもらうシステムでたくさんの名品を生み出していきました。
この堀江武が生み出した洛風林のスタイルは堀江武が亡くなった現在でも受け継がれており、常に新しいものを取り入れながら洛風林らしさを失わないように制作が続けられています。