大正から昭和時代の型紙彫刻師であり、
重要無形文化財「伊勢型紙錐彫」の保持者。
三重県鈴鹿市に生まれる。本名は六谷紀久男。
白子町立工業学校に通学して伊勢型紙彫刻を学ぶかたわら、
父である芳蔵について錐彫の修行を始める。
その後、京都市内で型屋として独立するが、
故郷の鈴鹿市寺家に戻る。
伊勢では本格的な錐彫による小紋型政策に専念する。
1942年、小宮康助より極鮫小紋の型彫への挑戦を進められ、
その研究に没頭した。
錐彫の中でも最も細やかな鮫小紋や通し小紋を得意とし、
よく粒の揃った柄を根気よく仕上げた腕の確かさは高く評価された。
1955年、重要無形文化財「伊勢型紙錐彫」の保持者として認定される。