大正から昭和時代の染色家であり、
重要無形文化財「友禅楊子糊」の保持者。
京都市に生まれる。
14歳で三越京都支店の染工場に入社し、
伝統的な友禅染の下絵、色彩の技法を修得した。
三越退職後は吉川与三郎に師事し、
挿友禅や描友禅、糊置を研究し
特に楊子糊について口伝を受けた。
その後、東京日本橋の満つ本呉服専属となり
師匠より伝授された友禅楊子糊を存分に研究する機会を得る。
1945年の東京大空襲で愛知県鳴門町に疎開し
鳴門町で友禅作品の制作を手掛けると同時に
戦災で中断していた楊子糊の研究も再開した。
明治中頃までは盛んに行われてた楊子糊は
仕事の容易な筒金による
糊置法が開発されるに至って急速に忘れられたいた。
しかし、山田栄一によって、ふたたび日の目を見るに至った。
その後、父の遺志を継いだ忠夫が永年の苦労の末、
技法を確立し、楊子糊だけが持つ
しなやかで伸びのある友禅染が復活したのです。
1955年、重要無形文化財「友禅楊子糊」の保持者に認定される。