本名は、十四代木幡久右衛門(こわたきゅうえもん)。
十三代 木幡久右衛の長男として島根県旧宍道町(現在 松江市)にて出生します。
木幡家は松江藩の役職を務めた旧家の家柄で、酒造業を兼ねて営んでいました。8世紀前半に建築された広い木幡家邸宅は藩主の宿所ともなり、本陣と呼ばれていました。
十四代木幡久右衛門(木幡吹月)は、その松江藩主の本陣宿を務めた「八雲本陣」開放し、戦後間もない1947年宿として開業します。
風情ある旅館として多くの人に愛されてきた「八雲本陣」は、1969年には国の重要文化財に指定されますが、2006年に惜しまれつつ旅館としての務めを終え、邸宅自体は現在も健在も一般公開されています。
また、350年ほど前に木幡家が宍道町の山谷一帯を買い取って"木幡の山屋敷"とし、江戸時代から明治、大正にかけて多くの文人墨客が訪れたという「木幡山荘」という地に十四代木幡久右衛門夫妻は隠居どころとして住み、そこで生涯を終えます。現在はこの「木幡山荘」は、憩いの地として一般開放されています。
木幡吹月は早大卒業後、郷里島根県で宍道町長・県会議員などをつとめ、島根新聞社(現在の山陰中央新報)社長にも就任します。
さらに、県文化財保護審議会会長を歴任し、エッセイスト、尺八愛好家、古美術研究家としても活躍するなど、政治家・文人として多彩な才能を持った人物でした。
尺八に関しては師範を有し、山陰尺八道場という尺八を教える場所も設けていました。
尺八の銘は「吹月」で、季刊誌「尺八」に連載された「尺八古今集」は痛快な評論として今も尺八奏者から読み継がれています。
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