ヘレンド HERENDを買取ります
ヘレンドはハンガリーの陶磁器ブランドで、ハンガリーのヘレンド村にヴィンツェンツ・シュティングルによって1826年に創業しました。
もともと焼物が盛んであったこの地域では16世紀からマヨルカ陶器の産地として知られており、ヴィンツェンツ・シュティングルは質の高い磁器生産に向けて試行錯誤を行っていましたが、資金不足に陥ってしまい、工房を手放す事になります。
その事業を継承したのが商人のフィッシェル・モールで、現在のヘレンドの基盤を作り上げました。
当時のヘレンドの顧客はハンガリーの貴族たちで、後にヘレンド磁器製造所として帝室・王室御用達と承認され、皇帝フランツ・ヨーゼフの庇護を受けるようになります。
そして、ヘレンドの名が一躍有名となったのは、1851年のイギリスロンドン万国博覧会に出品した中国風の絵柄に蝶の舞うデザインがヴィクトリア女王の目に留まり、ウィンザー城のためにディナーセットをヘレンドに注文した事でした。
このデザインは「クイーン・ヴィクトリア」と呼ばれ、大流行し、ヨーロッパ貴族の間でヘレンドの陶磁器を所有する事はステータスとなりました。
19世紀後半になると、ヘレンドが模範としていたマイセンなどが中流階級の顧客層を獲得しようと大量生産に踏み切り、芸術性が失われつつありました。
そうした中、ヘレンドはこれまでのスタイルを変える事なく、顧客層も公爵家や伯爵家、海外の王侯貴族などの上流階級に的を絞り、彼らの祖先から受け継いだディナーセットの破損品の交換や補充などを行っていきました。
この事が上流階級の人々の心を射止め、信頼と実績を積み重ねていきました。
また、これを機にヘレンドの作品にハンガリーの国章をつけて出荷するようになり、後に現在のバックスタンプである楯状の紋章の元になりました。
その後、ハンガリー産業への貢献が認められ、フィッシェル・モールは貴族の称号が与えられ、モーリッツ=フィッシャー・フォン・ファルカシュハージと名乗るようになりました。
しかし、フィッシェル・モールがこの世を去り、経営権が息子たちに移った頃、貴族たちからの注文が途絶え、存続の危機に直面してしまいました。
当時のヘレンドには新しい顧客を開拓する力も余裕もなく、衰退していく一方でした。
20世紀に入ってから工場の施設などを新調し、伝統を重んじながらも時代に合ったハイクオリティーな作品を手作業で作り続けながらも中流階級向けの生産を開始するようになり、ヘレンドは見事復活を遂げました。