山下義人は、昭和26年香川県高松市神在川窪町で生まれます。
幼い頃から物作りが好きだった山下義人は、中学の担任に「物作りが好きなら工芸高校に行ったらどうか」と勧められ、漆芸作品に初めて触れました。
その後、ある展覧会で蒔絵の人間国宝である田口善国が昭和45年に製作した「水鏡蒔絵水指」という作品を目にして感動を覚え、「こんな美しい作品を作れる仕事がしたい」と思ったそうです。
高校卒業後、香川県漆芸研究所に入り、そこで教壇をとっていた蒟醤の人間国宝である磯井正美と出会い師事、昭和51年には田口善国に師事し蒔絵技術を習得します。
蒟醤の人間国宝、磯井正美と蒔絵の人間国宝、田口善国の二人から技術を学んだ山下義人は、数多くの素晴らしい作品を作り上げ、昭和55年には日本工芸会正会員に認定されました。
昭和56年には、自身も学んだ香川県漆芸研究所で指導員として後世の育成に励みながら自身の製作活動も進め数々の賞を受賞しています。
平成3年に行われた第8回日本伝統漆芸展・平成5年に行われた第58回香川県美術展覧会・平成8年に行われた第43回日本伝統工芸展では審査員として活躍するなど漆芸業界に貢献しました。
平成12年には香川県で大物主神と崇徳天皇を祭っている金刀比羅宮という神社の敷地内天井に蒔絵で描かれている桜の復元に4年もの歳月をかけて完成させます。
金刀比羅宮敷地内天井に蒔絵で描かれた桜は、桜樹木地(おうじゆきじ)蒔絵壁画と呼ばれ、明治11年東京で蒔絵師として活躍していた山形屋治郎兵衛によって初めて描かれました。
ですが、経年劣化により痛みが進んだため復原プロジェクトを開始し、良質な木材と山下義人の類まれなる技術によって桜樹木地(おうじゆきじ)蒔絵壁画は輝きを取り戻したのです。
その後、これまでの功績が称えられ56歳で紫綬褒章を受章、また、桂宮宜仁親王殿下が山下義人の美国工房を視察された際自身の作品を献上した事で、山下義人の名が多くの人々に知れ渡るようになります。
62歳には、漆芸技法の1つである蒟醤の人間国宝に認定、同年学術の振興について極めて優れた功績のある者に与えられる文化功労者を香川県から表彰されました。
現在は、講師として後世の育成に励みながら、作陶を続けています。