1941年に、漆芸家である増村益城の長男として東京に生まれた増村紀一郎は、父と同じく漆芸家になるため高校卒業後東京芸術大学の大学院まで進学、美術研究科の漆芸を専攻し1969年卒業しました。
その後漆芸家である父の増村益城から髹漆の基礎と技術を学び、1969年に行われた日本伝統工芸展に出品し初入選を果たします。
その後実力を上げた増村紀一郎は、1979年と1981年に行われた日本伝統工芸展にて賞を受賞し、1982年にはこれまでの功績が認められ東京藝術大学美術学部の教授に任命されました。
それから教師として後世の育成に励みながらも作陶を続け、52歳の時に東京国立近代美術館・工芸館で行われた「塗りの系譜展」に招待出品をし、その2年後にはイギリスにあるヴィクトリア&アルバート博物館で行われた「ジャパニーズ・スタジオ・クラフツ展」に招待出品され、その時出品した作品がヴィクトリア&アルバート博物館で買い上げされるという功績を残します。
それから3年後には、増村紀一郎の技術力が買われ宮内庁正倉院の宝物として収められていた「漆皮御袈裟箱」の復元に携わるという重大な役割を成し遂げました。
その後は後世の育成に励みながら制作を続け、日本のみならず海外の展覧会にも作品を出品し、67歳で髹漆の人間国宝に認定されます。
増村紀一郎は、現在も髹漆作品を制作しながら伝統的な技術を後世へと繋いでいます。
髹漆
素地に漆を塗る事を髹漆と呼び、漆芸技法の中でも一番最初に生まれた技法と言われています。
髹漆で使われる素地は竹や木・布など様々で、形を形成した素地に下地と上塗りをし、仕上げを施して完成です。
髹漆では、蒔絵などの模様は施さず素地の質感を生かし、仕上げには表面を磨いて光沢を出す事もありますが、素地の質感を生かし磨かずに制作することもあります。
表面を磨いて光沢を出す塗り方を呂色塗(ろいろぬり)、磨かず光沢を出さない塗り方を花塗(はなぬり)と言います。
髹漆はどんな素地でも制作でき簡単なように思えますが、素地の特色や魅力を見極め生かせるような経験や高い知識と技術力が求められる難しい技術なのです。
ちなみに、増村紀一郎も様々な素地で作品を制作し、蒔絵のような煌びやかな模様はないものの、しっとりとして落ち着いた美しい作品を作られています。