父親で漆芸家の北村大通の長男として1938年奈良県に生まれ、祖父の北村久齋も漆芸家という漆芸を家業とする家で育ちます。
その後、父や祖父と同じ漆芸家になるため東京芸術大学美術学部工芸家を卒業後早川電気工業の工業デザイン部門を経て父親のもとで修行に励みます。
その後、42歳で第27回日本伝統工芸展に出品した作品が東京都知事賞を受賞、以降様々な展覧会で受賞を重ね北村昭斎の名は多くの人に知れ渡る事となりました。
北村昭斎は、父の元で漆芸の技術を学びながら、父と一緒に文化財作品の修復や復元も行います。
父の北村大通は1976年に行われた第一回選定保存技術保持者に選ばれ、北村昭斎も1994年選定保存技術保持者に選ばれています。
ちなみに選定保存技術とは、先人が残した大切な遺産を後世に残すため修復や復元を行う制度で、1975年文化財保護法が改正された際に制定されました。
簡単に修復や復元と言いますが、少し技術をかじっただけでは到底修復作業には加われません。
文化財を元の形に戻すという事は失敗は許されないという事なので、技術力のある作家のみが選定保存技術保持者に選ばれます。
選定保存技術は漆器や浮世絵・建具など様々な技術があり、選定保存技術保持者は2018年の時点で56人いるとされています。
北村昭斎が選定保存技術保持者に選ばれてから4年後には、これまでの功績が称えられて紫綬褒章を受章、その翌年には螺鈿の人間国宝に認定されるという功績を残しました。
2003年には後世育成のため、文化庁工芸技術記録映画「螺鈿 北村昭斎の技」を撮影し、作品制作の手も緩める事なく様々な作品を世に送り出します。
その後自身の展覧会を開くなどして、現在も精力的に活動しております。
螺鈿
北村昭斎が得意とするのは、光や見る角度によって七色の輝きを放つ螺鈿細工です。
螺鈿の起源は明らかにされていませんが、古代エジプトのハダク文化期の装身品や器具が発掘された際に貝殻が装飾されていた事からこの時代には螺鈿細工が使われていたといわれています。
また、発掘された装身品は立派な物が多かった事から王族などの地位の高い人たちが所有していた物と言われています。
その後シルクロードを渡って中国に伝わり、中国の唐時代で技術が発展し日本には奈良時代に螺鈿が伝わりました。
日本で螺鈿が伝わった当初は鼈甲や琥珀と共に楽器の装飾に使われる事が多く、正倉院宝物の螺鈿紫檀五絃琵琶(らでんしたんのごげんびわ)と螺鈿紫檀阮咸(らでんしたんのげんかん)は日本で最古の螺鈿作品として大切に保管されています。
その後時代の流れとともに螺鈿技術も進歩し、現在まで伝統的な技術は受け継がれています。
螺鈿で使用されるのは「夜光貝」「アワビ貝」「蝶貝」の三種類で、使用する貝の厚みは薄貝で0.09~0.3ミリ、厚貝で0.4~1ミリの二種類を使用します。
厚貝は柔らかい乳白色、薄貝は膜によって青や赤色に変化し、昔は厚貝が支流でしたが薄貝でも美しい色が出るとわかってからは、薄貝が螺鈿細工に多く使用されるようになりました。
北村昭斎の作品は、大きな絵柄などはあまり描きませんが、小さくても繊細で存在感を放つ螺鈿が特徴です。