三代目魚住為楽は、本名を安彦といい二代目魚住為楽の元に誕生しました。
父である二代目魚住為楽から指導を受けるはずでしたが、戦争で父親が亡くなってしまい、三代目魚住為楽は「銅鑼」の人間国宝だった祖父の初代魚住為楽から16歳の頃技術を学びます。
銅鑼の名工と呼ばれた初代魚住為楽から技術を学んだ三代目魚住為楽は、22歳の時に行われた第6回日本伝統工芸展に出品した作品で初入選を果たしました。
以降様々な展覧会で数多くの賞を受賞したことから、三代目魚住為楽の生まれ持った才能や技術力の高さがうかがえます。
43歳では、大阪府にある和宗総本山の四天王寺で妙鉢(みょうはち)を制作しました。
妙鉢(みょうはち)とは、インドの民族楽器だった物が音楽と共に中国から日本へ渡り、日本では雅楽楽器として使用され、それ以外には寺院の儀式や法要の際に仏具として使用されます。
46歳では技術力が認められ、金沢美術工芸大学の非常勤講師として勤務し、その3年後には加賀金工作家協会の会長として後世の育成に励みました。
その後も後世の育成に励みながら、自身も作品制作の手を緩めず続け、数多くの賞を受賞します。
63歳には紫綬褒章と石川県文化功労賞を受賞し、2年後には祖父で初代魚住為楽と同じく「銅鑼」の人間国宝に選ばれ、同年三代目魚住為楽を襲名しました。
2012年奈良県にある法相宗大本山の薬師寺に砂張水指、伊勢神宮の美術館に銅鑼を献上した三代目魚住為楽は、現在も精力的に作品制作を行っております。
砂張銅鑼
銅鑼と呼ばれる打楽器作りで人間国宝に認定された三代目魚住為楽は、砂張という素材で銅鑼や水指・お盆など制作しています。
砂張とは、銅を主体とし錫を多めに入れ銀と鉛を少量入れて作られた合金の事を指し、中国や朝鮮など中近東で広く使用され、その後日本に伝わりました。
砂張は配合量や形成する時の温度で肌色や音色が異なるため配合が難しく、また、金属の中で最も硬く、非常に扱いづらい素材ですので、作家の技術力が高くないと作品を制作するのは難しいです。
ですが三代目魚住為楽は、初代魚住為楽から伝授された伝統的技術を屈指し素晴らしい作品を作り上げます。
砂張で作られる銅鑼は、蝋型に調合した砂張を流し込み形を形成させ、金槌などで叩いて形と音色を整えます。
仕上がった銅鑼の厚みは1ミリ~3ミリ程の薄さになるそうです。
また、砂張銅鑼は気温の関係で春と夏しか作れず、制作に時間もかかる為、希少価値が高い作品となっています。