鋳金は、砂などで作った鋳型(いがた)と呼ばれる型に、
溶けた金属を流し込み、冷やして鋳型から取り出した後に、
研磨などをして表面を仕上げる金属工芸で、
古く弥生時代以来の長い伝統を有する古代の銅鐸や鏡、青銅器など
梵鐘や仏像、湯釜や鉄瓶などの制作に用いられてきた技術です。
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++鋳金家:香取正彦++
香取正彦は、平和を祈願する梵鐘づくりで知られる鋳金家で、
同じく鋳金家である父、香取秀眞より鋳金の技法を学び、
亡くなる直前までに、実に150余を越す梵鐘制作をしています。
1916年(大正5年)より1920年(大正9年)までの間、太平洋画会研究所で
洋画を学びますが、同年に東京美術学校鋳造科に入学したのを
キッカケに鋳金に専念し、1925年(大正14年)に同校を卒業します。
同年にパリで開催された、
現代装飾産業美術国際博覧会(アール・デコ博)で、
『苺唐草文花器』を出品し銅牌を受賞。
以後も帝展等で受賞を重ねました。
++主な帝展ほか受賞歴++
1928年(昭和3年) 第9回帝展『魚文鋳銅花瓶』初入選。
1930年(昭和5年) 第11回帝展『鋳銅花器』特選。
1931年(昭和6年) 第12回帝展『蝉文銀錯花瓶』特選。
同年、第18回商工省工芸展 『銀錯直曲文花瓶』商工大臣賞二等賞
1932年(昭和7年) 第13回帝展『金銀錯六方水盤』特選。
1949年(昭和24年)からは、梵鐘制作を始め、
比叡山延暦寺、成田山新勝寺、広島平和の鐘など
名立たる作品を手掛け、
その後は栄西禅師像や、鎌倉瑞泉寺本尊金銅釈迦牟尼仏など、
仏像、仏具の制作にもあたり、
奈良薬師寺薬師三尊、鎌倉大仏などの修理も手掛けた事が
知られています。
一方で戦時下に、金属供出の為に多くの鐘が破壊されたことに
衝撃を受け、
戦後は父秀真と共に平和を祈願する梵鐘の制作を始め、
戦時中に失われた梵鐘を復活させるべく、
積極的に梵鐘制作にも取り組みました。
1977年(昭和52年)4月、重要無形文化財保持者(人間国宝)認定。
また国内外でも、
米国サンディエゴ市に贈る『友好の鐘』や、
ビルマ国へ贈る仏像制作として、ビルマへ渡ったのをはじめ、
中国を含む広い古典に学び、
伝統に基づいた端正な形体の中に、
モダンなデザインを生かした清新な作風を数多く残しています。