『雁皮紙(がんぴし)』という言葉を聞いたことがあるでしょうか?
ジンチョウゲ(沈丁花)科の植物である落葉低木の皮で
作られた紙を雁皮紙といいます。
繊維が短く細かいため、表面がきめ細やかで光沢があり、
筆あたりが非常に柔らかいため、
文字を書くために生まれてきた和紙と言えます。
また永久保存に耐えられるほどの強靱な緊密さがあり、
害虫などにも強く変色しにくいため、
古くは平安時代から絵巻物や流麗な公家風のかな書物、
仏教経典や書籍などにも使われました。
そのため古い時代に書かれた雁皮紙は今でも数多くの文化財
として博物館などに残されています。
その半面で、原料である雁皮は野生のものの樹皮が用いられるため、
栽培が困難で、成育が遅く栽培が難しいと言われています。
製造にも手間がかかるため、
現在ではごく僅かしか生産されていません。
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<生い立ち>
安部榮四郎は、
昭和43年に雁皮紙の伝統技術を高く評価され、
重要無形文化財の認定を受けます。
島根県八束郡岩坂村別所(現:松江市八雲町別所)
に生まれた安部榮四郎は、幼い頃から家業の紙漉きを
手伝い技を習得しました。
安部榮四郎が育った村は古くから紙漉きが行なわれている
産地でしたが、名高い紙漉き産地とは言えず、
また和紙はあくまでも "消耗品" にすぎず、
その上に絵や書が描かれることによって始めて完成品となるという、
和紙そのものの持つ美しさを認めない考え方や、
誰が漉いても同じだという、紙漉職人の技術の優劣や地方的社会の
常識的な和紙の見方に対し、
自発的な修練と研究によって和紙の美しさ・真価を主張する
努力を重ねてきました。
昭和6年、民芸運動を提唱し始めた柳宗悦が松江を訪れた際に、
安部榮四郎の漉いた雁皮の厚紙をみて、
褒め称えたのが機縁となり、安部は民芸運動に参加するようになり、
染織、陶芸、版画などの仲間達に励まされ、鍛えられながら、
和紙の持ち味を殺さずに生かして染めた和染紙、
水の美しい動きを生かして繊維を漉き込んだ
模様紙、楮、三椏、雁皮などの植物繊維の特色をうまく生かして
漉き分けた数々の『生漉紙』を発表します。
昭和9年には東京で、初めての紙すき職人の漉いた紙のみで
一堂を飾る『和紙の個展』という試みを行って以来、
国内の活動から飛躍し、海外でも和紙の個展を開催し、
以後、昭和55年までに、
パリ、ニューヨーク、ロサンゼルス、サンフランシスコ、北京
の各地で個展を催し、
昭和59年に亡くなるまで、安部は毎年各地で展覧会を開催して
きました。