五世 早川尚古斎 重要無形文化財『竹工芸』保持者
早川家に受け継がれた伝統の技を極め、更に独自の組技法で素材である竹独自の魅力溢れる作品を多く残した人間国宝です。
五世 早川尚古斎
五世 早川尚古斎は代々『早川尚古斎』の名を引き継ぎ籠師として活躍してきた早川尚古斎の5代目です。
初代は江戸末期~明治の大阪で『浪華の籠師』と謳われ、芸術として扱われなかった竹工芸に『作品』として銘を入れた最初の人と言われており、明治天皇皇后陛下直々のお買い上げも受けています。
その技は大阪の地で一子相伝で代々引き継がれ、父・4代 早川尚古斎の代の時に2度の大阪空襲により京都に移住しました。
家業を継ぐことが親孝行になると考え、五世 早川尚古斎は高校卒業後から父・4代 早川尚古斎の元で修行しますが、「見て覚えろ」という方針からほぼ独習となります。
最初は竹ひご作りのみ、2年以上経ってから編むことを許され、父が組んだ作品をほどいて研究することもあり、作品が出来ても売ることを許可されずハサミで切られたそうです。
33歳の時に早川家の伝統技法を全て集約した3種の籃である『鎧組花籃』『そろばん粒形花籃』『興福寺形牡丹籃』を習得し、独立を認められ個展を開催、翌年の日本伝統工芸展では初出品にして初入選を果たし、以後毎年入選など活躍しました。
早川家伝来の技法だけでなく、独自の技法を編み出し、竹素材と真摯に向き合い、新しい美を生み出した人間国宝です。
切込透文様 (きりこみすかしもんよう)
竹工芸は大きく分けて編技法と組技法に分類され、五世 早川尚古斎は組技法を多く残しており『組みの早川』と呼ばれています。
組技法は編技法のように様々な文様はないものの、竹そのものの美しさが際立ち、早川家伝統技法3種の籃のうち組技法である『鎧組』は、幅広の竹を籐で繋ぎ止め、戦国時代の鎧のように見える技法です。
そこに五世 早川尚古斎はアレンジを加え、幅広の竹を部分的に細くしてそれを組み合わせることにより文様が表現できる『切込透』(きりこみすかし)という技法を考案しています。
竹の幅が細くなっている部分から透かしのように内部が見え、奥行きと観る角度による変化が美しい文様です
この他に矢羽根文(やばねもん)や條線菱文(じょうせんひしもん)などの美しい文様を生み出しています。
竹の気持ち
五世 早川尚古斎は独立してすぐの時は竹を自分の思い通りに曲げて作品を制作していたと言い、過信していた自分の内面を反映したかのように不自然な形であったと感じるそうです。
竹の気持ちを汲むようになり、なるべく負担がかからないように、竹にお願いするように作っていくと、自然な形になる可能性を感じると言います。
竹という素材への深い思いが美しい作品の秘訣なのかもしれません。