八代・岩野市兵衛 重要無形文化財『越前奉書』保持者 勲四等瑞宝章
パブロ・ピカソも版画用紙として愛用していた手漉き和紙の人間国宝 八代・岩野 市兵衛です。
質と量をごまかさない和紙漉きを貫き、守り続けました。
八代・岩野市兵衛
八代・岩野市兵衛は1901年に福井県で越前奉書と呼ばれる手漉和紙の制作を生業とする家に生まれ、小学校卒業から父である七代・岩野市兵衛に師事します。
越前奉書は楮(こうぞ)と呼ばれる木材のみを原料としていますが、消費され続けた地元の楮は絶え、七代は金沢の加賀楮を取り入れますがこれも尽きてしまいました。
八代・岩野市兵衛が一人前になった20代の頃は和紙には安価な木材パルプを混ぜることが主流となりますが、純楮にこだわり楮探しに奔走します。
全国の山野に詳しい漆掻き職人から情報を得る為に、腹巻きに大金を入れて漆小屋に寝泊まりして聞き込みを行った末に那須楮を探し当てました。
またこの頃の越前奉書の用途が祝儀用紙のみであった状態を打破すべく、八代・岩野市兵衛は浮世絵木版画の伝統的技法を復興させる動きを察知し、自ら出向いて紙の供給を引き受け販路を開拓します。
木版画家・吉田博らと研究し、数百回の摺りに耐える強靭で染料の浸透が良く見事な地合の越前奉書を完成させ、木版画に最も適した最高品質の和紙として戦後復興期の浮世絵ブームを支えました。
その質の良さは海外にも伝わり、パリにいた藤田嗣治やパブロ・ピカソも版画用紙として愛用していたそうです。
八代・岩野市兵衛は飾らず誰にでも気軽に話しかける性格でとても人から好かれ、一方で仕事には厳しい姿勢を貫いたそうで、水上勉の小説『弥陀の舞』の主人公のモデルにもなりました。
1986年に人間国宝に認定され、その交付式で授与された証書を、席に戻ってすぐにかざして検品したという逸話も残しています。
全国手漉和紙連合会の指導者として和紙業界の向上にも努めました。
越前奉書の制作技法は現在は息子の九代に引き継がれ、父子で人間国宝に選ばれています。
越前奉書
奉書とは古くは室町時代の幕府の公文書用紙として発給された紙で、江戸時代には武家や公家の公文書用紙として各藩で漉かれており、その中でも重厚で格調高い越前奉書は高く評価されていました。
越前奉書はその土地の良質な水と原料の越前楮が豊富であったことから、越前和紙の中心地である福井県五箇地区大滝町で発展し、1500年の歴史を持ちます。
越前和紙の産地では煮熟などの力仕事は男、紙漉きは女という習わしがあり、越前奉書は家族で協力する仕事です。
実際に八代・岩野市兵衛の紙は夫人・岩野マツが紙漉きを担当しています。
明治以降は安価な木材パルプと機会漉きによる大量生産が主流となり、家族経営の手漉き和紙の多くが廃業しました。
販路も祝儀、儀式、社寺などに限られていたこと、原料の楮が入手困難であったことも追い打ちをかけます。
その中で昔ながらの製法を守り、版画紙として用途を広げた八代・岩野市兵衛の功績は計り知れません。
現在は奉書を漉く家は数件のみ、その中でも国産の楮だけを原料とするのは岩野家のみとなっています。