小森邦衞『髹漆』人間国宝 紫綬褒章 旭日小綬章受賞
髹漆(きゅうしつ)とは漆塗りを施す全般のことです。
小森邦衞の髹漆は、飾らずシンプルに器の形を際立たせる漆塗り、かつ漆そのものも美しく気品にあふれています。
素地となる器も全て自身で制作し、洗練されたフォルムに繊細な竹の手編み文様を組み合わせた器を作り、それを生かした漆塗りで見事な調和を生み出すなど、新境地を切り開いた人間国宝です。
小森邦衞
小森邦衞は終戦を迎えた1945年に輪島塗で有名な石川県輪島市に生まれています。
中学卒業後は刃物を使うのが好きだったことから和家具職人となり、カンナやノミなどの扱い方を習得しますが、小さな体でタンスの運搬などが体力面で厳しく、輪島塗の『沈金』に出会い樽見幸作に弟子入りに至りました。
そんな中で近郊に輪島市漆芸技術研修所が開校し、小森邦衞も3年の修行を完了してから2期生として沈金科(3年制)に入学し、人間国宝であった松田権六や前大峰から指導を受けます。
そこでは松田権六を中心に輪島塗に留まらない漆の様々なあり方を示し、近代の漆工芸の発展に努めていたそうです。
小森邦衞にとって松田権六から学んだことは転機となり、漆塗りの基本は素地の骨格をよく理解し良い着物を着せるようにきちっと塗ることが大切だ、という教えにより漆器に対する見方が変わります。
この「漆芸品は素地作りが肝心」という教えは今も実践しているそうです。
在学中に漆芸職人として独立し、さらに卒業の4年後は新設の髹漆科(3年制)の聴講生として曲輪を赤地友哉、籃胎を太田儔、乾漆を増村益城など、いづれも人間国宝となる超一流の漆芸家達から技術を学びました。
特に赤地友哉には修了後も3年間、横浜に通ってまで曲輪(薄い板材を輪っか状に湾曲し形成する技法)を学んでいたそうです。
太田儔から学んだ籃胎(らんたい)は竹を編んだ素地に漆を施す手法で、年3日間のクラスしかありませんでしたが、4年の和家具職人の経験があった小森邦衞は薄さ僅か0.2mmの竹ひごを制作できたことから、誰にも真似できない独自の世界を切り開きました。
そして籃胎と曲輪を組み合わせた作品が生まれます。
加飾を排し、竹細工の文様を漆で美しく浮かび上がらせ、側面の曲輪によるフォルムは極めてシンプルに、全体の質感と気品を極めました。
1つの作品を作って結果が出てから、それを土台にして次の作品を作るという方針を貫いており、
40歳頃の盛器に始まり、喰籠(じきろう)、重箱、提盤(ていばん)、再び喰籠、そして60歳頃の盤(ばん)のように作品が変化しています。
61歳で人間国宝に選ばれ、現在も輪島塗技術保存会の会長として意欲的に活動中です。
四季を通した作業
伝統的な輪島塗は分業化されていますが、小森邦衞は素地作りから仕上げまでのほとんど全ての工程を自身で行っています。
数ある素地技術の中でも特に竹ひごを編んで形成した素地である籃胎は、大変な手間と時間を要し四季を通じての作業です。
まずは秋の紅葉の季節に竹林で自ら竹を切り、油抜き後乾燥させ、雪が降る頃に作品の製図を起こし、竹を割り細かく削ぎ、極薄の0.2mmで幅1.5~2.5mmの竹ひごを作り、編んで文様の美しい網代を形成します。
春先には下地作り、中塗り、そして漆を塗った面を駿河炭で平滑にするための炭研ぎを行い、仕上げの夏に拘り抜いた良質の漆で上塗りを施して完成です。
小森邦衞の作品はこの籃胎に曲輪を組み合わせた素地が多く、年間制作が僅かで非常に貴重になります。
加飾をせず器の造形の美しさと塗りの美しさを追求しており、その技術の高さと力強さの中に安らぎや優しさも感じさせる奥深い作品の数々は、まさに日本最高峰の漆芸です。