愛知県出身の昭和時代に活躍した日本の鋳金家、釜師です。
和銑(わずく)という砂鉄を集めてタタラで精錬した鉄を使って茶釜を制作する事で知られており、和銑は日本古来からの地金ですが、洋銑と比べると生産性が悪く、現在ではあまり用いられていない素材です。
しかし、和銑は錆びに対して強く、釜であれば200~300年は形を保つ事ができると言われており、他の鉄に比べて薄く加工する事ができるため、軽量でスタイルが良く見えるというメリットを持っています。
長野垤志は日本古来の地金である和銑に古作釜の技法や様式を現代に生かした事で重要無形文化財「茶の湯釜」の保持者として認定された事でも知られています。
名古屋の左官業の家に生まれた長野垤志は、本名を松蔵といいます。
はじめは画家を志して上京し、早稲田大学附属早稲田工手学校、本郷洋画研究所で学んでいました。
しかし、関東大震災により本郷洋画研究所が焼失してしまい、これを機に彫金家に転向します。
はじめに鋳金家・山本安曇に師事し、香取秀真の七夕会に入会すると作品指導の他にも古美術研究の指導も受けるようになり、名古屋の釜師・伊藤一正にも学びました。
こうして研鑽を積んだ長野垤志は帝展に出品し、入選を果たし、その後も出品を続けました。
製造上困難だと言われていた和銑釜の復元を成功させた技術は高く評価されており、「あしやの釜」「天命の釜」「茶之湯釜の見方」などの著作を出版しており、作品では「矢筈釜」「松林図肩衝釜」などを手掛け、茶釜の他にも善光寺、輪王寺、極示寺、内光寺、薬師寺などの梵鐘の制作、そして銅や銀を用いて花瓶や壷などにも秀作を残しています。