京都府出身の昭和時代に活躍した日本の截金師です。
仏教美術の分野の一技法にとどまっていた金箔、銀箔を細かく切り、仏像や仏画に装飾する技法である截金を工芸美術の域まで高めた事で知られています。
その功績が認められ、勲四等瑞宝章を受章し、重要無形文化財「截金」保持者としての認定を受けました。
茶入れや飾箱を中心に屏風、額、衝立など平面に施された截金は、とても写実的で繊細で現代的感覚を取り入れたとして高い評価を受けています。
京都・西本願寺御用の截金師の家に生まれた斎田梅亭は、本名を右五郎(ゆうごろう)といいます。
父親は4代目を、兄は5代目を継いでいますが、兄が早くに亡くなってしまったため、五男であった斎田梅亭が家業の6代目を継いでいます。
京都市立美術工芸学校を卒業してから百貨店や呉服専門店でデザインの仕事に従事していた斎田梅亭は25歳の時に家業を継ぎます。
民間企業でデザインの仕事をしていたという経験は後に斎田梅亭の作品に大きな影響を与え、家業を継ぐ一方で京都在住の技術らと截光会を結成し、保存振興と新しい装飾工芸の開拓につとめました。
こうして伝統的な技法「截金」を使った工芸品を美術展に頻繁に出品するようになった斎田梅亭の名はたちまち噂となり、東京・赤坂の迎賓館へ四曲一双屏風「霞文(かすみもん)」を納入するなど、截金の工芸分野としての基礎を築き上げました。