京都府出身の昭和時代に活躍した日本の漆芸家です。
重要無形文化財「木工芸」保持者で、これは木工芸で初の重要無形文化財保持者という事は広く知られています。
高度な木工・漆芸技術をベースに用の美を重視しつつ、細密な螺鈿線文、斬新な稜文を施したモダンな造形によって独自の作風を確立し、飾棚、飾筥、水指、椅子などを中心に制作を行いました。
また、漆芸制作の分業制に疑問を抱いている事から、「職人」ではなく「作家」として素地作りから一貫制作を行っていました。
京都祇園で塗師をしている父親のもとに生まれた黒田辰秋は、幼い頃から父親より木工・漆工の技術を学んでいました。
20歳の時に河井寛次郎の講演に感銘を受け、柳宗悦のもとで民芸運動に参加するようになり、特に李朝木工品や螺鈿器に興味を持ち、作品に反映するようになりました。
柳宗悦や志賀直哉、武者小路実篤、川端康成、白洲正子、小林秀雄、そして黒沢明の別荘などの家具を請け負うなど当代の目利きといわれる著名人から作品を請われ、交流を重ねていました。
その中でも白洲正子は黒田辰秋の作品集の編集を自ら手掛け、作品解説まで丁寧に書き残しており、川端康成は黒田辰秋が納得のいかない作品までをも気に入り、半ば強奪するかのように持ち帰ったというエピソードが残されています。
それほど、多くの人々から支持される作品を残した黒田辰秋の作品は現在でも高く評価されています。
黒田辰秋の作品は美術的、鑑賞的評価はもちろん、実用性の高さも評価されており、宮内庁より昭和新宮殿のための室内装飾や家具を依頼されるほどでした。
また、柳宗悦らの民芸運動に共鳴し、上賀茂民芸協団を組織するなど若手が活躍できるような場を設け、共同生活を行っていました。