東京都出身の昭和~平成時代に活躍した日本の彫金家です。
重要無形文化財「彫金」の保持者として一家伝来の布目象嵌技法を自在に駆使し、優美で格調高い作風を確立した事で知られています。
鹿を筆頭に、小動物や草花をモチーフとし、雲文、流渦文、華文を施す事を得意とし、花器、水指、水滴、香炉、壺、鉢などに技術を見る事ができます。
その高度な技術と豊富な経験により、宮内庁の嘱託「菊菱地柳鷺紋飾壺」の制作、唐招提寺国宝「金亀舎利塔」、山形県若松寺重文「金銅観音像懸仏」などの保存・修復にも尽力した事でも知られています。
鹿島一谷は本名を栄一といい、代々彫金を営む家の長男として産まれ、祖父、父親から布目象嵌を、後藤一乗、関口一也、関口真也に彫金の技術を学びました。
20歳の時に父親が亡くなっており、その時に独立しています。
独立後は帝展や日展で活躍を見せ、その高い実力が評価され、日本工芸会の創立の際に正会員に推挙されるなど彫金家として着実に名声を高めていきました。