富山県出身の陶芸家で、京都を拠点に活躍し、自らを「異端」と位置付け、特定の師を持たず独自の作陶を追求し続けた事で知られています。
また、日本で初めて木ノ葉天目の制作に成功した事でも知られ、初の人間国宝(重要無形文化財「鉄釉陶器」保持者)の認定を受けています。
石黒宗麿は富山県新湊市の医家の長男として生まれ、慶応義塾普通部を中退して中越汽船会社で働いていました。
実家の窯で楽焼を試作し、焼物に興味を持つようになり、中国宋の時代の陶器である曜変天目に惹かれ陶芸家を志します。
まずは東京都渋谷に石炭窯を築き、伊賀・三島・刷毛目などを制作します。
それからは福島、埼玉、石川、京都と陶房を写し、京都市八瀬に築窯して定住するようになりました。
こうして中国の宋・唐の陶磁器や朝鮮李朝の焼物を研究し、その復元につとめ、格調高い品格と深みのある天目釉を追求していきます。
その傍ら、小山富士夫、荒川豊蔵、水町和三郎、日野根作三らと日本陶磁振興会を設立し、理事となり北陸を担当し、九谷焼の改革にも取り組んでいます。
特定の師に付かず陶芸に向き合った石黒宗麿だからこそ、こういった活動を行う事ができ、更には楽焼、唐津、志野など幅広い作域を示します。
その作品の多くは射水市新湊博物館に収蔵されており、見る事ができます。
自らの作陶活動の他にも若手陶芸家育成の場として「八瀬陶窯」を設立し、自ら理事長に就任するなど、後進の指導にも励み、日本の陶芸界に大きな影響を与えました。