田口 壽恒『鍛金』人間国宝 旭日小綬章
1枚の金属板を叩き自在に縮めて延ばして精巧な器を造形する『鍛金』の人間国宝です。
田口壽恒は江戸時代から続く長壽齋派の流れを汲む鎚起職人であり、受け継いだ高度な技に豊かな発想を重ね芸術としての美を完成させています。
田口 壽恒
東京都の文京区で生まれた田口壽恒は、祖父が長壽齋派の鍛金制作の修行をしており、自宅兼工房で銀製の器や煎茶道具などの注文制作が家業でした。
田口壽恒も中学生の頃から仕事を手伝い、工房で人手が足らなくなると学校に使いが来て、家に帰って祖父と父親を助けていたそうです。
東京都立工芸高等学校 金属工芸科を卒業後は父の元で鍛金の修行を開始します。
職人として注文通りに作る一人前の技術を身に着けた頃、ただ言われた通りに作り続けることに満足できなくなり、自分の表現で独自の作品を生み出したいと1974年から日本伝統工芸展などの展覧会に出品を始めました。
そこから交流が広がり、『彫金』の人間国宝・鹿島一谷に触発され彫金での装飾を試みますが、「鍛金の作品としていいものを作りなさい」の助言に納得し、装飾性を排したシンプルで美しい造形に徹することになります。
田口壽恒が新しい素材や技術の研究に時間を費やす姿に師でもあった父親は否定的な態度でしたが、伝統工芸新作展での受賞(1980年)をきっかけに理解を示しました。
以後も様々な賞を重ね、1984年に受賞作が文化庁買い上げ、1997年は宮内庁買い上げとなり、この頃から娘の典子さんも仕事に加わります。
2006年に重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定、2010年には旭日小綬章を受章し、健康の秘訣は仕事よりもキャリアが長い趣味の軟式テニスだそうで、現在もバリバリの現役で活躍中、毎日8時間金属を叩き続けているそうです。
予想できない作品
田口壽恒は作品を制作するにあたって、事前にきちんとした計画はせず作品を心の中に描く程度で作業を始め、金属が自分の手に応えてくれる通りに叩くため、途中で予定とは異なることもあるそうです。
同じ物を作るつもりで同じように作業しても違った物になるそうで、「自分の作品が育っている」と自分でも予想できない展開を楽しんでいます。
そのようにして完成した作品は歪みが一切なく正確でありながら、金属の自然で柔らかな美しさを引き出す絶妙な造形をしています。
朧銀 (四分一)
田口壽恒が好んで使うのは銀でも黒でもない独特の渋い輝きを放つ朧銀であり、読み方は「おぼろぎん」又は「ろうぎん」です。
日本独特の合金であり、朧銀とも四分一(しぶいち)とも呼ばれ、銅と銀が3対1、隠し色として金1%の割合で配合され、これにより合金の肌には結晶が現れ銀鼠色の輝きを放ちます。
鍛金は手間と時間が掛かる作業で扱いやすい銀でも器を完成させるまで3ヶ月かかるそうですが、朧銀は非常に硬くて割れやすく加工が難しい為、半年以上もかかるそうです。
力強い色・光沢・陰影がありながら柔らかい表情も併せ持ち、そこが他の素材にはない魅力です。
シンプルな造形
鍛金の美しさは打って鍛えられた跡であり、光の加減や角度によって見え方が変わり、金属の美しさを引き立てています。
朧銀の他には温かみのある黒味銅、紫がかった黒の赤銅、鎚起の素材である南鐐(良質の銀)など、それぞれ特色の異なる金属でも作品を制作しており、それぞれの金属特有の美しさを引き出す造形をしています。
シンプルゆえに一切の誤魔化しはきかず、正確で高度な技術があってこその技です。
注文通りに制作する職人と個性を発揮する芸術は一見違う領域ですが、基となる技術は同じで職人的な技術は必要だと言います。
アートを目指す若い世代にも職人的な技術を身に着けて欲しい、と語っています。