馬淵聖の版画を買取ります。
鎌倉美術家協会の理事長、日本版画会会長などを歴任した馬淵聖は大正9年東京生まれの木版画家です。彼は木口木版(こぐちもくはん)の商業作家でありエアブラシ技術の先駆であった、Rokutaro-Mabuchiの息子です。当時としては珍しく、Rokutaroは息子の馬淵聖にアーティストになるように促し、馬淵聖が幼少のころから木版の技術を教え込みました。
その後、馬淵聖は当時の東京芸術大学デザイン科に入学し、そこで版の創作を続け、平塚運一に師事しました。
1941年に藝大を卒業した馬淵聖は、東京の帝国警備隊に入隊して太平洋戦争を過ごしました。
戦後、馬淵聖は彼の父の事業を引き継ぎました。
馬淵聖はそのころ点描主義(ジョルジュ・スーラに代表されるような、点を画面に埋め尽くして描く表現)に近い独自の表現を確立しました。彼は版木のブロックにモザイク様のパターンを造るため非常に薄い木材を切りだしたものを糊で貼るという方法で版木を作ります。
したがって彼の作品はかなり小さいものが中心となっております。
昭和31年、馬淵聖の作品は、日本文化の研究家で著名な日本版画コレクターであるオリヴァー・スタットラー(Oliver-Statler)が著した現代版画史の画集「よみがえった芸術 日本の現代版画」に収録されます。
「よみがえった芸術 日本の現代版画」は2009年に猿渡紀代子(横浜市民ギャラリー館長、横浜美術館学芸員)監修により玲風書房から翻訳刊行されました。
馬淵聖の版画の初期のテーマは景観でしたが、のちに埴輪や果実のかたちをモチーフとして構成し作図された版画を制作しました。
馬淵聖は作品にしばしば”Thoru"というローマ字のサインを描き込みます。
シカゴ、ボストン美術館など海外にも所蔵の馬淵聖の作品を買取ります。
- 馬淵聖の版画のサイン
- エディションナンバー
- 全体像
を写したお写真をお送り下さることで、お調べがスムーズになります。さらに、エディションナンバーの分母の数字が小さい程、希少度が高くなる可能性もございます。
版画の買取についてはいわの美術へお気軽にお問い合わせください。
版画の買取はいわの美術へ~馬淵聖の経歴など~
- 昭和15年:光風会第27回展、造型版画協会展に初入選
- 東京美術学校工芸科図案部に在学中のこと
- 昭和16年:東京美術学校工芸科図案部を卒業。
- 卒業制作の「木版による自然物の装飾的表現」が文部省買上
- 昭和17年:造型版画協会会員となる
- 昭和25年:造形版画協会を退会
- 昭和26年:第7回日展「立秋」初入選
- 昭和27年:日本版画協会会員となる
- 昭和31年:光風会会員となる
- 昭和35年:日本版画会の創立に棟方志功らとともに参加
- 昭和37年:東京国際版画ビエンナーレ展に招待出品
- 昭和42年:光風会の評議員となる
- 昭和56年:日版会会長となる
著書に「木版画を始める人へ」「木版画のつくり方」など。
いわの美術では美術品、骨董品の買取を幅広く行っております。
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参考:
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