網目文様
回転すし屋さんのお皿でこの文様を見たことがある方は多い事と思います。
漁業用の網の目の文様で、リズム感のある曲線が美しいことから主に江戸時代に愛好されていました。このような日本人のくらしのなかに溶け込んだ曲線の文様が、19世紀フランスからヨーロッパ圏の「ジャポニズム」に分類される、ルネ・ラリックやエミール・ガレといったフランスのガラス工芸家たちが日本からの影響を受けて作ったアール・ヌーボーの作品のなかにみられる波のような曲線美にも影響を及ぼしています。網目文様はエビや蛸や魚をあしらって大漁文として浴衣や手ぬぐいなどにも染められており「波打って一網打尽にする」が如くに敵を打ち負かすようにと、武将の紋にも使われました。いわの美術が査定を行っている茶道具の懐石道具、染付の磁器や着物の訪問着の地文様に網目文様が入っていることもあります。
網目文様と浮世絵
『青楼美撰合 床着之図 丁子屋見佐山』鳥文斎栄之 江戸時代
こちらの浮世絵の中では、網目文様は遊女の床入りの際の襦袢のような薄手の着物で着られている様子が描かれており、色町での顧客である「旦那」や「若旦那」の心をとらえるという商売繁盛のゲン担ぎもこの着物の文様の選び方に込められていたのではないかと感じさせます。遊女の足元には客への恋文を書くのに欠かせない書道具が入った文箱が置かれ、この女性の仕事終わりの午前のひと時を思わせます。
鳥文斎栄之は江戸に生まれた江戸後期の浮世絵師であり、 武家の細田丹波守三世の孫・時行の子として生まれ、名を時富・画号を鳥文斎といいました。自らの家督を弟に譲ったのちに狩野栄川院曲信に師事します。絵を描き続けるという憂き世とは離れた生き方を選び取り、 時の将軍であった徳川家治より栄之の画号を贈られました。1789年に隠居したのちも沢山の浮世絵を発表しました。鳥文斎は美人画や遊郭色町をえがいた作品を中心に、スラリと長身で健康的な印象のさっぱりした美人を描く画調とのびやかな線が一番の特徴となっており、江戸時代の当時は喜多川歌麿と並ぶ人気絵師として、歌麿とまた違う一派をなして一躍人気となりました。
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