七宝焼について
皆さんは七宝焼という物をご存知でしょうか?
七宝焼は、金属製の下地の上にペースト状にした釉薬を乗せ、摂氏800度前後で焼成する事により、釉薬がガラスやエナメルのような美しい色彩を施す作品が出来上がります。
日本では、花瓶などに施されている物が多く琺瑯とも呼ばれ、中国では琺瑯をファーランと呼び、英語ではエナメルと言われています。
日本に七宝焼が伝わったのは中国からと言われていますが、様々な説があり正確な年代はわかっていません。
中国から伝わった七宝焼を日本では様々な技法を用いて作品を作り上げています。
今回は多くある技法の中で、何点かご紹介致します。
七宝焼の技法
・泥七宝:平安時代から桃山時代末期に用いられた数ある技法の中でも一番古い技法となり、泥七宝独特の不透明な釉薬を使用し焼いています。
・象嵌七宝:作品に彫りを入れ、凹んだ部分に七宝を施す技法で、江戸中期まではこの技法が多く使われていた事から古来の技法と言われています。
・有線七宝:細い金属線を文様の輪郭線に用いて釉薬を施す技法で、象嵌七宝よりも手間のかかる技法ですが、その分細かい細工が施せるので作品の価値は高くなります。
・無線七宝:七宝釉の間に金属線で仕切りを付けない技法で、明治時代に活躍した七宝家の濤川惣助が本格的に考案したと言われ、江戸時代に多く施された作品が見つかっています。
これらの技法を用いて工芸品やアクセサリー、室内装飾などが作られその時代を彩りました。また素晴らしい作品が数多く残されている七宝焼の歴史はとても奥深いものとなっています。
七宝焼の歴史
日本を感じさせる物から、中国風の華やかな物、ポップな作品など現代においても様々な場所で作られている七宝焼の歴史を旅してみましょう。
日本に七宝が伝わった年代は、様々な説があり正確な事はわかりませんが、多くの記述を見ると安土桃山時代から江戸初期にかけて作られ始めた説が有望かと思います。
この時代、堀川油小路の金工師、嘉長が小堀政一に登用され、桂離宮などのふすまの引手部分にある釘を隠す為に、泥七宝を製作しました。
この事から京都の金工師が七宝を製作したと言う事で京七宝が伝わります。
その後、京都の金工師、初代平田道仁が朝鮮に渡り七宝の技術を学んで帰国し、幕府御抱え七宝師となり刀装具や引手の釘隠し、装飾など様々な作品を手掛けていきました。
道仁の作った作品の中で代表的な物といえば「花雲文七宝鐔」とよばれるお品物で花の模様が釉薬で華やかに描かれています。
また、日本最古の七宝焼は「七宝亀甲形座金具」と呼ばれるお品物で、奈良県にある牽牛子塚古墳から発掘されました。
七宝焼の買取
いわの美術では、七宝焼の様々なお品物を査定致します。
七宝焼の勲章、バングル、ジュエリーボックス、花瓶、香炉など数多くの作品を見てきた目を持つ査定スタッフが1つ1つ丁寧に鑑定致します。
七宝焼は技法により査定額も異なってきますので、七宝焼か不安というお客様にはメール査定をオススメしております。
その他にも花瓶、香炉、置物など多数査定を行っておりますので、遺品整理などお考えでしたら、是非一度いわの美術までご相談下さい。スタッフ一同心よりお待ちしております。